人は『キャンパスライフ』に夢を見る
早稲田祭2016 中夜祭実行委員会の功刀です。
今回が当番なので、浅薄ながら、自由に綴らせていただきます。
『キャンパスライフ』
この言葉を聞いて皆さんは何を想像するか?
友達以上恋人未満の報われない恋愛劇?
それとも、個性的なキャラクターたちによって織り成される非日常的体験?
そんなドラマチックな4年間が大学にはあるはずだと信じて疑わなかった当時19歳(浪人中)の私。
しかし私の『キャンパスライフ』(あと22単位残ってる)を振り返ってみると、「師匠」と呼べそうな8回生に出会うことはできたものの、突然ママチャリで稚内まで行ったり、延々と続く四畳半に閉じ込められたり、なんてイベントは起きない平々凡々とした大学生活だったと思われる。
そんな私が3年間何をしていたのかというと、イベント系のサークルで、企画を考えたり、広報の仕事に携わったりしながら、早稲田祭に毎年関わっていた。
入会したきっかけは、単に親切にしてもらった(入学式の会場まで道案内してもらった)からという理由だけで、はじめから「このサークルで3年間頑張るぞ!」みたいなモチベーションではなかった。
勉強するのが怠かったり、海外旅行するためにアルバイトを頑張るみたいな目標がなかったりと、もしかしたらサークルをやり続けることが自分にとって楽な選択肢だったからかもしれない(笑)
そうして始まった私のサークルライフは、気づけば早稲田祭のしかも大隈講堂前ステージにガッツリ関わるようになり、あの大きなステージにどうやればもっとお客さんが集まるのか、何をやればお客さんの印象により色濃く残るのか、連日連夜アイデアを出し続け、日々納得が行くまで会議漬け、毎日が全力という生活になった。
そんなこんなで私も『早稲田祭への熱い思いを持った早大生』へと成長(?)したわけだが、同時にステージを作るすべての早大生に対し、こんな気持ちを抱くようになった。
「お前ら、夢見過ぎじゃね?」
私が所属していた団体含め、どの団体さんも早稲田祭のステージに向けて一生懸命なのは十二分に伝わっているけれど、自分たちの作品を過大評価している人が多すぎではないだろうか?
「あのシーン、お客さんすごく盛り上がってくれてたよね!」、「Twitterでエゴサしたら面白かったって呟いてくれてる人いた!」たったその程度のことで、さも大成功の優越感に浸る。
更に「バイトや授業が忙しい中よく頑張った」、「本番では上手くできたと思う」という自分を賞賛する言葉がそこに拍車を掛け、それを青春と呼称する。
確かにバイトや授業が忙しい中で頑張ったのかもしれないし、準備の過程でメンバーと何回も衝突し苦労したのかもしれない、だけどそんなことは作品に対する評価とはこれっぽっちも関係ない。
それが良き作品だったか判断するのは常に受け手であるお客さんなのだから。
私の主張が色眼鏡だと言われても仕方がない。
「学生だからそれでいいじゃん」と言われてしまえば済んでしまう話だからだ。
しかし否定されようが、私は主張を続ける。
早稲田祭に関わるすべての早大生に、いやそれが叶わないのであるなら、せめて大隈講堂前ステージに参加する人だけでも聞き入れてほしい。
大隈講堂を背にしたあのステージには、早稲田祭のすべてが詰まっている。
学生だからできることと学生レベルに留まることとを勘違いしてはならない。社会的な評価は必要ない、ただ後ろを振り返らず、早大生という誇りを胸に、まっすぐ挑戦し続ける、たったそれだけのこと。
中夜祭2016は、そんな私が泥臭く、がむしゃらに、大学生活の最後の一滴まで注いだ企画だ。
「偉そうなこと言って、それこそお前の自己満足だろ?」と思うかもしれないが、そう思う人はとりあえず早稲田祭1日目の夜、大隈講堂まで足を運べ。
夢も糞もへったくれもない老害たちが送る、『キャンパスライフ』の成れの果てをお見せしよう。