中夜祭2016ブログ

中夜祭は早稲田祭1日目の最後を飾る企画です。

ドッジボール理論

いつにゃんです。

突然だがみなさん、ドッジボールで遊んだことはあるだろうか。

小学生時代を思い出してほしい。誰もが一度は体育の授業で経験しただろう。

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僕はドッジボールが大嫌いだ。




正しくはドッジボールが終わった後の片づけだ。



僕の小学校では最後にボールが当たった人間が片づける。というルールがあった。

最後に当たった。というのはゲーム中の話ではない。

本当の意味で最後に当たった人間が片づけるのだ。

休みのチャイムが鳴った途端、男子たちが互いにボールを当てあい、ボールの押し付け合いを始める。

ある少年にボールが当たる。

 

お前が当たったんだからお前が片づけな。

すると少年はムキになってなって次の標的にボールを当てる。

お前が当たったんだからお前が片づけな。

 

この永遠に終わりの見えないボール当てのループの行き着く果てはどこだろうか?

 

それは突然訪れる。

 

お前、最後だから、お前がけ片づけろよ~。みんな逃げろ~。





昼下がりの明るい体育館の中、ポツリと寂しい影。

 

さっきまで子供たちの中心にいたボールをボールかごに戻しに行く小さな背中。





僕だ。





小学1年生にして、すでに社会の理不尽さを学んだ。



最後にボールが当たったものがボールを片づける。



一見、公平中立に見える。この制度。

 

でも損な役回りをするのはいつも一人だ。

その一人はいつだって同じだ。



大学に入り、何気なくこの話を友人にしてみたところ、どの小学校にもこの手のルールは存在するらしく、しかもボールの押し付け合いの結果は同じだった。

 

僕はこの理不尽なボールの片づけを押し付けられる損な役回りをする人間が常に同じであることにドッジボール理論という名前を付けた。

 

ここまでがドッジボール理論の説明である。

 

では大学ではどうだろうか、

サークルで飲み会をしたとき、会計のお金が足りない。

 

犯人探しが始まる。

 

見つからない。みんなお金を払いたくないからぞろぞろと帰っていく。

 

結局1人が足りないお金を払う。損な役回りをするのはいつも決まった一人。

 

就活でも僕はドッジボール理論を目にした。

 

グループディスカッションの発表役。

 

発表役がダメというわけではないが、リスキーな役だ。

発表役は成功すれば大きなアピールポイントだが、失敗すればプレゼン能力のなさが露呈する。よほどプレゼン能力に自信があれば立候補すべきだが、一般的には避けられがちだ。

 

このグルディスの現場でもやっぱり押し付け合いが始まる。

しかも、ここにおいてタチが悪いのは全員が笑顔であることだ。(審査されている立場だから仕方がないが)みんな笑顔の裏で

チッお前がやれよ。くらいのことを考えているのは言うまでもないだろう。

 

結局そのグループで最も気の弱い人間が発表役をさせられることになる。



こえは社会に出てもそうだ。

 

PTA役員の押し付け合い。

 

母から聞いた話だが負担が多いPTA役員の仕事は父母の間で押し付け合いが毎年行われるそうだ。結局、ママ友ネットワークを使いこなせない人間、立ち場が最も弱い人間が役員を引き受けることになるのだそうだ。(ここの情報に関しては確証はない)

 

人間はドッジボールをいくつになっても押し付けあっている。

こっけいな話である。

 

いじめだってそうだ。

 

私は小学校時代いじめられていた。

 

クラス全員から無視され、悪口を言われ、給食はいつも一人、陰湿だった。

 

給食は4人の班ごとにテーブルをくっつけ、大きな長方形を形成して食べるルールがあったが。

 

僕の班だけはコの字型だった。

 

離れ小島のように3つのくっついた机から離れる一つの机。

 

だが担任の先生が教室に入った途端。3つの机が僕の机にくっついてきた。

 

先生が教室をでるとまた元の離れ小島に戻る。

このころは自分もよく学校に通ったものだな。と思う。

 

だがある日を境にピタリといじめが止んだ。

 

いや、正しくは僕へのいじめが止んだのだ。

 

いままで沈黙していた教室がウソみたいに明るくなった。みんなと話すことがこんなに楽しいなんて、、、

 

だがその日から別の少年がいじめられることになった。

 

そう、ドッジボールが別の人間の手に渡っただけだった。

 

当時、自分の手からいじめの標的という名のドッジボールがなくなり、安堵したのを昨日のことのように覚えている。

誰かがいじめられているのに。



さて、話は変わるがみなさんはディスカスという熱帯魚を知っているだろうか?

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このかわいらしい熱帯魚は習性として群れの中で最も弱い個体を攻撃する。

その攻撃は執拗で、まるで何かにとらわれたかのように集団で弱い個体をいじめるのだ。

他の種類の魚には全く興味を示さないのに。。。

 

草食動物もいじめを行う例が確認されている。

 

ある学説だが「いじめ」はコミュニティの維持に一役買っているのだそうだ。

誰かをいじめることでその「誰か」以外のみんなが安心していられる。

 

端的な話大勢が安心するために一人をいじめるのだ。

 

だが考えてみてほしい。われわれ人間は動物じゃない。

一万年の進化に意味を見出す時が来た。

 

さあ、ドッジボールを拾いにいこうか。



中夜祭実行委員会

いつにゃん